全ての更なる幸のため、自ら更に幸せになる

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「ブログ」と「偉大な先人」の全記事

出口王仁三郎さんとその布石

2022年3月20日 りん之介

王仁三郎さんは私にとってとても特別で、私の人生の指針の一つになっている方です。彼の幽体が霊界で見聞きし体験した内容を口述した霊界物語は、私の霊的知恵の礎の一つです。とても偉大な方なので、皆それぞれ様々な観点から彼の功績を讃えていますが、私にとっては以下の事実が特に重要でした。


日清、日露と二度の世界大戦のあった非常に過酷な時代においても、彼の残した教えからは終始明るさと楽しさが溢れていて、彼の面白く楽天的な性格と度量の大きさが感じ取れ、いつも感服しています。若い頃の通称「喜楽」という名そのもののように感じます。天命を楽しむ、私がまだあまり育てられていない素養なので本当に尊敬します。

霊的事実は物質的記録に残らないものの方が多いので、もっと多くの貢献や達成、未来に向けた準備があったことは想像に難くありません。そして今でも、現界の人々の為に霊界で活発に活躍されているのを感じます。

三葉彦 広く道別け 太玉の 御串を捧ぐ 真言使いて
(みつばひこ ひろくみちわけ ふとたまの みくしをささぐ まことつかいて)

私達の一人でも多くが、彼の繋いだことを少しでも多く引き継ぎ、育て、更なる未来に繋げられることを切に願いつつ、自分もそのお役に立てるように精進しています。


*厳霊 = いずみたま。縦、火、太陽、霊素、男性性、天国、愛善、熱、左、金、他の本質でありそれらを顕現する霊。

*瑞霊 = みずみたま。横、水、太陰と地球、体素、女性性、霊国、真美、光、右、銀、他の本質でありそれらを顕現する霊。

*艮の金神 = うしとらのこんじん。北東に引退封印され、地下世界より地上を加護してしてきた神。国常立大神のこと。

*国常立大神 = くにとこたちのおおかみ。地球を創った二柱の神の一柱。適宜名を変え、大宇宙、太陽界、地球界、地獄界、他でも活躍し、人間の進化を助け導いている。太古の天地律法を定める。

*坤の金神 = ひつじさるのこんじん。南西に引退封印され、地下世界より地上を加護してしてきた神。豊雲野大神のこと。

*豊雲野大神 = とよくもぬのおおかみ。地球を創った二柱の神の一柱。適宜名を変え、大宇宙、太陰界、地球界、地獄界、他でも活躍し、人間の進化を助け導いている。地上霊界にては国常立大神を補佐する。

*変性女子 = へんじょうにょし。女性性の特性を発揮し活用している男性。女系の精霊を宿した男性。

*瑞霊系諸天使 = ずいれいけいしょてんし。素戔嗚大神の分霊を継承した天使達。

*三五教 = あなないきょう。埴安彦神と埴安姫神が古代の地球で開いた宗教。


参考書籍:霊界物語(1~73巻 愛善世界社 出版)
         (74~81巻 天声社 昭和三十六年 再版)




生命共生とグランドファーザー

2021年7月24日 りん之介

本で読んだ*グランドファーザーの生き方は私の憧れです。動植鉱物と意識や意志を通わせ、自然の希望に沿って自然をより豊かにしながら、自然の中で高潔に平和に生きている彼の姿に強く心を打たれました。現代社会に生きる私にとって、自然を世話することで、自然が自然に育つ以上に、自然を豊かに健やかにできる彼の生き方に本当に驚嘆しました。石への接し方、水への接し方、動植物への接し方全てに愛と叡智があり、グレートスピリットや精霊に対する心のあり方が綺麗で感動しました。徳性に優れ、悟性と霊性に秀でた彼の生き方を知って、まだ地球にその教えが残っていることに安堵し、心が和らぎました。

電子情報技術や宇宙工学技術などの高度な科学技術が発達し続ける現代において、原自然でのサバイバルスキルに注がれる関心は非常に小さなものですが、グランドファーザーやネイティブアメリカンが磨き伝えてきた自然と精霊に接する時の心と行い、そして知識と技術は、平和な世界を築き人々がより幸せになる上で必要不可欠な要素です。競争主導の現代に共生の術を、科学主導の現代に霊の繋がりを示してくれます。私達はその教えの本質を徐々に理解し、創意工夫して現代社会に応用していくことで物質的にも精神的にもより豊かになれます。

いつか、人類全体や動植鉱物の願いを叶えるために個々人が自発的に喜んで楽しく貢献できるような世界になるように願いつつ、自分自身もネイティブの愛と叡智を実践できる人間になれるように日々心言行を見直しています。


*グランドファーザー = 本名:ストーキング・ウルフ。ネイティブアメリカン、リパン・アパッチ族。スカウトであり、シャーマンであり、長老。

参考書籍:グランドファーザー (ISBN4-19-860925-X)




出口直美さんとの面会

2021年7月24日 りん之介

私の霊視力はあまり発達していないのですが、それでも過去に三度、二十代の時に霊的存在を視認したことがあります。一度目は満月より大きな流れ星。五巻から霊界物語を読み始めた直後に会社帰りに自宅マンション近くの空で見ました。二度目は私に憑いていた悪魔。人生で一番霊病が酷かった時に枕元に立ちました。三度目は人間として活躍している天使。助けを求めて出口直美さんに綾部で面会した際、彼女の霊が見えました。「天女」と聞いた時に多くの人が思い浮かべる綺麗な姿でした。様々なことが込み上げて泣きながら「助けてください。」としか言えなかったのですが、「そんなに生き急がなくても。」と優しく微笑みながら声を掛けて下さいました。出口直美さんには、その後もう一度東京でお会いできる機会がありました。

人には様々な人助けの方法があって、多くを語らずとも、直接手を貸さずとも、その存在やエネルギーで世界に貢献されている方々がいます。出口直美さんは出口王仁三郎さんに開祖:出口なおさんの生まれ変わりと言われた方で、私達が認知しないところでご神業に活躍されているのだろうといつも感じていました。2020年11月に天界にお帰りになられましたが、今は天界でのご用に楽しく勤しまれているように感じます。

今でも思い出す度に柔らかく明るく美しい波動が降りてきて心が安らぎます。とてもありがたいなあと都度感謝しています。




合気道と植芝盛平翁

2021年6月13日 りん之介

合気道は攻撃技や試合の無い、平和の武道です。そして幸せな世界を築く礎の一つになっています。合気道は相手を傷つけるのではなく、技を掛けられる者から*負力を取り除き、技を掛ける者と掛けられる者の両方の気を巡らせ、両者の体の健康と精神活動に正の影響をもたらします。負力は柔軟性を欠いた関節や緊張した筋肉の中に特に溜まります。合気道は技を掛けられている間に筋肉の伸縮と関節の締緩によって効果的に負力を取り除きます。負力の減少は負の現象に遭遇する機会を減らし、*正力を保持することを助け、結果として正の出来事に巡り会う機会を多くします。

技術に関しては競争を通しても向上の機会を得ることができます。競争がないと鍛錬を怠り堕落する人もいるでしょう。競争が楽しいこともあります。誰かに危害を加えられそうになった時は戦わざるを得ないかもしれません。競争や戦いが必要になる場合は確かに存在します。しかし競争や戦いは決して持続的な平和に貢献することはありません。競争や戦いはその意図や結果に関わらず常に負力を発生するためです。自分が先に進むために誰かを倒すという概念は相手の幸せよりも自分の幸せを優先しているため、人々が末長くより幸せになることを阻害します。その競争や戦いに参加した全員が満たされているように見えたとしても、同時に負力が生成されて世界に負の影響を与えます。

私達は、競争の代わりに比較を使えば良いのです。競争せずに向上する意志を発達させれば良いのです。兆候を読み取り、原因を取り除き、事前に戦いを防げば良いのです。

植芝盛平翁はこれらを理解しており、より平和に、より幸せになるための要素を、相手を倒し殺すために発展してきた武道に組み込みました。そして合気道を創立して老若男女がそれらの正の要素を稽古を通して獲得できるようにしました。武道は平和利用が最も難しいものの一つですが、植芝盛平翁はそれを現実にしました。それも第二次世界対戦中の人々が最も暴力的だった時期の一つにです。

私は翁をとても尊敬しています。そして私自身が自分の音楽を確立してより幸せな世界に貢献できるように、翁にサポートをお願いしています。


*負力=ネガティブなエネルギー
*気=活力
*正力=ポジティブなエネルギー

参考書籍:
武産合気 (ISBN4-89214-080-5)
合気神髄 (ISBN4-89350-382-0)




個魂と集魂

2020年6月21日 りん之介

人間は各自固有の意識を持ち、他者の意識との繋がりは顕在意識において感知されない程度に希薄です。個人個人は個別の命として生きていると感じられます。ただ、動植物はそうではありません。生物学的に人間に近い種属ほど人間のように個々の意識が明確になっていきますが、大前提として、人間より多くの意識を他の個体と共有しており、個々の意識はより不明確です。犬や猫などの哺乳類は個体意識が明確な方ですが、それでも種属間で人間より多くの意識を共有しており、バクテリアや植物などにおいては遥かに多くの意識を共有として集合意識として生きています。

魂は丸く火の玉のようなものだと想像される方も多いかと思いますが、魂の形は自在です。そもそも三次元的なものではなく、空間と時間の干渉を受けずに種属間で繋がり、更に大きな視点からは全生命の魂が繋がっています。ただ、生物としての進化が進んでいる種属ほど個に力が集まり、集としての力が弱くなります。生物としての進化が遅れている種属ほど集に力が集まっています。力の全てが個もしくは集に偏ることはありません。個と集の比率が変わるだけです。例えば、人間はより個に力が集まりより個魂として生きており、植物はより集に力が集まりより集魂として生きています。そのため命を奪われる時の個体へのダメージは人間が一番大きく、より原始的な生物ほど小さくなります。故に菜食や魚食はより生命に優しく、人の命を奪う行為はとても深く魂を傷つけます。

各種属の生命は異なる魂の進化過程で生きています。役目も目的も特性も異なります。それを人間界における命の価値観で理解することはできません。個魂と集魂の比率が変われば必要なことも善悪の基準も変わります。私達が為すべきことは、各種属への理解を深め、各種属の幸福に可能な限り貢献できるように努力することだと考えています。




過欲と我欲

2020年6月21日 りん之介

生命維持にもあらゆる物事の向上にも欲は必要です。生きていたい、成長したい、幸せになりたい、という生命本能も欲です。欲があるからこそ改良しようと試みます。欲があるからあらゆる変化が生じます。欲自体は善でもなく、悪でもなく、中性で必須のものです。

調和の取れた欲は善欲です。他生命の幸せを過剰に害する事なく自身の命の幸せを満たし、その幸せの一部を他生命に共有して還元します。

調和を欠いた欲は悪欲です。他生命の幸せを過剰に害して自身の命の幸せを満たし、他生命に幸せを十分に還元しない行為です。

つまり欲は過少でも過多でも良くありません。これは全てにおいて言える事ですが、バランスを欠けば欠く程、悪の比重が大きくなります。今の世の中は、権力欲、金銭欲、性欲など、あらゆる物質欲が過剰になっています。

また、全てのことにおいて優先順位が重要であるように、欲に関しても優先順位が非常に大切です。誰でも幸せになりたい。でも、自分の幸せを最優先するのは善欲ではありません、それは我欲です。伴侶、家族、仲間、他者、動植物など、他生命の幸せを優先しながら自分の幸せも大切にするのが善欲です。

全ての生命は幸せを望みます。だから他を幸せにするために自分も幸せになることが大切です。




予防と自己責任

2020年6月21日 りん之介

多くの病、特に生活習慣病は心をポジティブに体をオーガニックに保つことで防ぐことができます。多くの災難は兆候に注視して事象を予測することで回避したり、対策を準備することなどで影響を軽減することができます。

多くの人は渦中にいる時、"自分は被害者である” という前提を思考内に設定して、被害者目線で物事を判断します。こうなってしまったのは仕方がない、自分が悪いわけではない、というふうに被害者として自分を認識しているため、自己責任についての考察は優先順位が低くなります。優先順位が高く設定されるのは、渦中から抜け出すための、現状を打開する対策になります。ただこの対策は発生した問題のみを対症療法的に解決するもので、問題がなぜ発生したのか原因を本人の課題まで掘り下げて解決することはありません。そのため一時的に渦中から抜け出しても同じ生き方を続ける限り、その原因は形を変えた病や災難となってまた発生します。

発生した病や災難に対処するのは大切です。だた、対処療法は最も初歩的で効果の持続性が乏しい対策です。私達が最も注視し努力を注ぐべきことは「予防」です。可能な限り未然に問題を解決することで苦労を減らすことができます。

予防の質を向上させるには今までのやり方を改める必要があるため、より理性的に倫理的に振る舞う必要が出てきます。これには努力が必要で時間もかかりますが、最初は予防を少し活用しながら対処療法をメインに活用し、徐々に予防比率を上げて対処療法比率を下げていけば良いと思います。嫌な事態が発生する前に問題を解決できれば、その分多く幸せな気分でいることができますから。

なるべく病気にならないように、心のあり方、衛生管理、行動習慣、体調変化の認識、摂取物の質などについての自分の考えを見直し、またなるべく災難に合わないように、生活環境選び、仕事環境選び、関わる人や組織の行動理由、有事の際の生活方法などへの理解を深め、自分に降りかかる災難をなるべく小さくし、自分に影響を与える事象を可能な限り制御していきましょう。




敵の命、家畜の命

2020年3月11日 りん之介

敵や害と認識した対象には、正義という概念で対抗し易く、相手の命を奪うことさえ正当化し易くなります。映画 / ゲーム / アニメでは、敵や害と見做されたエキストラがどんどん殺されても心を痛めない人は多いですし、まして主人公が苦労の末に敵や害とみなされた者を殺すと、感動したり憧れる人も沢山います。現実世界でも、敵国軍人やテロリストが殺されても気にしない人は大勢いますし、まして殺される事を願う人達もいます。その場合、「殺す」という言葉ではなく、「倒す」という言葉が使われ、相手の命を奪う/奪った事実よりも悪に勝つ/勝ったという目的に注意が向けられます。悪を滅ぼすための殺人は正義という考え方です。

家畜の命に関しては、何も考えず何も感じない人が殆どです。食べるために育てているのだから、人が肉を食べるのは当然だから、という概念が根底にあり、普段目にするのは命を感じない包装された肉で、食事は毎日繰り返されるため、動物の命をもらっている実感がありません。家畜に関しては「殺す」という言葉ではなく、「処理」や「処分」という言葉が使われます。「殺す」という行為に意識は向けられず、美味しさ、健康、安全性など人間のメリットに焦点が当てられます。

害を与えてくる者への対応は必要ですし、肉食も必要です。ただ、私達は重要視する点を間違えています。

大切なのは敵を殺すことではなく、敵を作らないことです。望んで自らの手で人を殺したい人はいません。人を殺す人にはそうせざるおえなかった、そうなってしまった理由があります。そういう理由が発生してしまう世界である限り、必ずどこかで誰かが人を殺す不幸が生じます。私達が重要視すべきことは、その理由が発生しない世界になるように、一人一人が考えを深め、心言動を省み、まずは自分の周囲からその理由が発生する原因を取り除いていくことです。

家畜には、その生命に感謝する、命を取られるまで幸せな生涯を送れるようにサポートすることができます。家畜には人間に命を与える役目がありますが、人間はそれを機械的に無感謝 / 無感傷で享受すべきではありません。感謝と僅かな心痛を持ってポジティブな心で享受すべきです。無感謝 / 無感傷の殺生は、人の心の中の無関心を増幅させ、人が無慈悲になるのを加速させます。感謝と適度な感傷、何より家畜の幸せを願う心は、人の心の中で慈悲を保持し、心の機微を維持し、センサーとしての感情が適切に機能するのを助けます。

普段無防備に受け取っている情報の中で、無意識に行なっている行動の中で、私達は優先度の低いものを重要視しています。皆がより幸せになるために重要なのはことは何か、意識を向け直すとよりポジティブに世界が広がって行くと思います。




選ぶ力

2020年2月22日 りん之介

既得権益者は既存の法律で守られているため現状維持を望みます。既得権益者は僅少な努力と苦労で莫大な利益を得られます。既得権益者の最優先事項は既得権益を守ること、その為にはあらゆる手段を用います。その権力により、力の強いものほど悪事は裁かれません。

私達に出来る事は「選ぶ力」を身につけることです。仕事を自分で選ぶ、生活環境を自分で選ぶ、住む国を自分で選ぶ。身の回りのあらゆる状況に対してより良い選択肢を選べるように努力することができます。

既得権益者の既得権益は大多数の一般者によって作られます。つまり、既得権益者は現状を維持するために大多数の一般者を必要としています。私達はそれを逆手に取り、「選ぶ力」を得てゆるやかに現在の制度からより良い制度に移ることで、既得権益者の利益に協力する度合いを減らすことができます。私達がより良い選択肢を選ぶ力を発達させるほど、既得権益者は力を失っていきます。

「選ぶ力」を身に付けるのは大変難しいです。そもそも既得権益者は一般者が「選ぶ力」を身に付けないように環境整備に余念がありません。ただそれも完璧ではありません。個人の努力で「選ぶ力」は何処にいても育てられる余地があるからです。まずは今までに培った選ぶ力で現状でより良い選択肢を選ぶことから始めます。この事実を認識し、より良い選択肢を選ぶ意志を持つだけでも、私達の選択の質は少し改善されます。そして、更に良い選択肢を選べるように、徐々に世界についての見識を深め、生きるための技術を磨き、経験を積み重ねていくことができます。私達がより良い選択肢を選ぶ力を得れば得るほど、既得権益者は私達のために既存制度の改善を迫られることになります。そうしないと既得権益者の既得権益は減少もしくは消滅するためです。

世界に良い変化をもたらせるよう、「選ぶ力」を身に付けていきましょう。




苦手の克服

2020年2月9日 りん之介

私は自発学習を止めた人と交流するのが苦手です。。。自発学習とは、「新しい事を自らの意志と努力で学び習得する事」です。自らの意志と努力で、知らない事柄を認識し、学習方法を考え、情報を獲得し、技術を習得し、経験を蓄積し、評価と助言を集め、継続して改善していく行為です。

多くの人が歳を重ねるにつれて自発的に学ぶことを止めていきます。学ばなくても生きていける環境を得ると、変化を避け、人格や能力の成長よりも既存の興味と欲求を満たす事を優先して生きるようになります。もともと現代教育で受動学習の習慣が身についているため、安寧を得ると自発学習を望みません。

私が苦手なのはその方々自身ではなく、「人から教わりたい」という依存、「誰かがやってくれるだろう」という無責任、「自分にはできないから、、」という自信欠如、「まあ何とかなるだろう」という危機感の欠如、「めんどくさい」という怠惰など、自分の意志と努力を使わずに他者の意志と努力で事態を好転させようという自分の利益を優先した、人と世界を堕落させる考えです。その方々がそういう考えに至ったのにはそれなりの理由があるはずですが、その言動を目の当たりにするとどうしてもイライラしてしまいます:)他者や世界への影響を考えず、自分自身のネガティブな動機を優先していることに私の心が瞬時に反応して苛立ってしまうのです。その苛立ちを抑えるのに沢山のエネルギーを消費して疲れてしまうため、そういう人々との交流が苦手です。。。

以前、「お互いへの期待値解除」というブログを書きましたが、私自身、まだまだ努力中です。「みんな本来はできる素質をもっているのに」と強く信じている為、それが「期待値」となり、その基準に添わない人々の言動に苛立ちが生じてしまうんです。これは本当に直らなくて、意識し始めてからもう15年以上は直っていないです(少しずつ緩和してはいますが:)

その人達の言動の理由についてもっと理解を深めなければならないことがあるようです。もしくは全く別の課題を克服することで私の心に余裕が生まれ、その言動を許容できるようになったり、ただの事実として中庸に受け入れることができるようになるかもしれません。苦手の克服は本当に大変です。少しでも改善し、より調和に満ちた心を持てるように継続して努力していきます。




スポンサーと制度

2020年2月9日 りん之介

多くの場合、制度はスポンサーのために構築 / 更新されます。スポンサーとは指示、資金、システムなどを実行者に提供し、実行者に恩恵を与える個人や組織のことです。大多数の人の為に制度が構築 / 更新されるのは、大多数の人以上にスポンサーが恩恵を受ける時です。スポンサーは実行者より遥かに賢く、先を見据え、変化が人々に与える影響を理解しています。人々の動向を細かく予測した上で、実行者が理解できる範囲でもしくは理解すべき範囲で直接的又は間接的に指示とサポートを提供します。実行者は本来の目的や事後の影響を知らず、時に自分が実行者であることに気付かずに、制度を構築 / 更新していきます。大多数の人々が目にすることができるのは実行者迄で、スポンサーは見えません。

各スポンサーは独自の理念と理想を持ち、その実現のために実行者を働かせます。実行者はスポンサーと大衆の間に入り働くことでお金、地位、権力など欲しいものをスポンサーから享受します。

善いか悪いかは別として、実際の世界はこのように運営されています。世界はまだ生命倫理的正しさや自然を含めた各生命の幸せに基づいて構築され更新されていません。

まずは事実を理解し観察し続けること、そして現実とどう向き合って生きていくかを自分の意思で決めていくことが大切だと思います。




心理嗜好は私事に / 数理証明は公事に

2020年2月1日 りん之介

人々が心理嗜好や数理証明を不向きな目的に活用している、活用しようとしているのをよく見かけます。公事において心理嗜好を優先したり、数理証明を私事において優先しています。

私事においては、各自は自分自身の基準に基づいてより幸せになりたいため、主観的視点で物事を決定する必要があります。何を考えるかが各自の人生を象り、何を感じるかが各自の幸せへと育っていきます。人生の全ての側面は幸せに影響を与え、幸せは各々が持つ個別の主観的視点によって作られています。故に私事では心理嗜好が優先される必要があります。数理証明は参考として小さな役割を果たします。

公事においては、多様な人からの様々なニーズの中で適切なバランスを見つけなければならないため、客観的視点で物事を決定する必要があります。コミュニティ全体での公平性と利益を確実なものにするため、人々は期待値、進捗、結果を同じ方法で「見る」必要があります。この時、数理証明はとても便利で信頼性があります。心理結果は補足として小さな役割を果たします。

私事において心理結果を優先し、公事において数理証明を優先することは、私達の社会に多大な恩恵をもたらしてくれます。




時所位に合わせた心言行

2020年1月14日 りん之介

1つの事柄について、考えることは沢山あります。その時、どういう視点でその事柄を見るかによって考える内容は変化します。その事柄についてどの考えを自身の言動の主軸として優先すべきかも変わります。

例えば「努力する」という事について考え、言葉を述べ、行動する時はこんな風になるかもしれません。
・「実施者」として自分の努力を誉められたら、喜ぶと同時に自惚れないように気を引き締める。
・「指導者」として生徒の努力を目にしたら、誉めながら更なる成長に繋がるようにリードする。
・「管理者」として部下の努力を目にしたら、賞賛しながら成果がでるようにサポートする。
・「同朋者」として仲間の努力を目にしたら、賞賛しながらお互いに良い影響を与えられるよう精進する。
・「観察者」として他人の努力を目にしたら、敬意を抱き自分も頑張ろうと奮起する。
「時と場合と立場」によって「考え、言葉、行動」はその適正が変化します。それぞれの状況に応じてより適切に、また不適切になりします。その状況に適切な考え、言葉、行動を判断する際は、「その状況において影響を受ける人々の幸せに、それがどの程度助けになるか」を基準にすることができます。皆な個性的にそして幸せになるために生きていますから。関係者全ての幸せを優先しながら、自身の考え、言葉、行動を調整していくのはとても建設的です。

現実の世界では、私達の多くは「時と場合と立場」によって「考え、言葉、行動」を調整したり、関係者の幸せをあまり考慮していません。そしてその事実に気付いていない時は、大抵反射的に言いたいように言って、やりたいようにやっています。私達はとても我儘ですから。

人は皆は幸せを願っています。内容は異なりますが、幸せを願う事実は同じです。私達は「考えと言葉と行動」でお互いに交流しています。効果的に世界の幸せに貢献できるように、「時と場合と立場」に応じた、よりふさわしい「考えと言葉と行動」を取れるようになりたいですね。




他者から向けられる思いの充実

2020年1月3日 りん之介

仕事や様々な支払い等に追われていると、定年後に時間とお金のある生活をしたいなと思うことがあると思います。私は給与明細の税金欄やローンの残高を見た時によくそう思います。

でも実際に定年を迎えた方や、資産や投資で生活している方、現役だけと高収入の方を見ると、不幸せそうに生きている方々をよく目にします。お金があるので大病でもない限り不安は無いようですが、みんなとても多くの不満を抱えているようです。反動として、自分の事ばかり話したり、他人の境遇に嫉妬したり、立場の弱い人に不親切な態度を取るなどしています。そして何をすれば幸せになれるのか、もう自分では分からないようです。

幸せを感じるためには、安心・安全などの基本的欲求を満たす事や、各自の様々な要求を満たす事に加えて、「他者からのポジティブな思い」がとても重要です。他の人から感謝されれば気分が良いし、好かれれば嬉しい。逆に蔑まれれば悔しいし、無視されれば悲しい。どんな人でも他者からの思いに対して心は反応します。ポジティブな思いが入ってくるほど気分は良くなり、ネガティブな思いが入って来れば来るほど気分は悪くなります。

不幸そうに見える方々は、周囲の人からあまりポジティブな思いを向けられていません。これは通常、その人が今迄周囲の人にポジティブに思われることをあまりしてこなかった事実に基づいています。自分の幸せのため、自分にメリットのある人の幸せだけ(家族や恋人)に焦点を当てて生きてきた結果です。

周囲の幸せに目を向け、周囲の幸せのために行動しないと、周囲はポジティブな思いを抱いてくれません。みんな自分が生きるのに精一杯ですが、少しずつでも自分を変えて、地域活動 / 芸術 / 芸能 / 教育 / 福祉 / 技術支援 / ボランティアなどを通して、自分にできる方法で周囲の幸せのために生きるべきです。そうすることでお互いにより幸せになることができます。

人々が自分自身の幸せを大切に、皆の幸せを更に大切に、そして自然に「皆の幸せのために自分も幸せになる」と思えるようになれることを願っています。




チームワークと能力開花

2019年10月22日 りん之介

以前数ヶ月間だけ所属していたチームで感じた事です。そのチームのマネージャーはとても大らかな方で、物腰も柔らかく、部下の幸せを本当に気にかけていました。ビジネススキルは普通で目標設定、業務管理、レポートなどに関しては物足りなさを感じましたが、人間的に良い方だったので一対一でのミーティングは楽しみでした。

チームの雰囲気も良く、オープンで、ジョークも飛び交い、メンバーの何人かは私生活で撮った面白い写真なども自由に共有していました。当然仕事は忙しく、時折不満も聞こえましたが、その不満すらみんなで話し合いその上司に共有していました。他のチームでは見ることができないくらい、コミュニケーションにおいては健全なチームでした。

一人一人の能力はというと、細部まで見る、周到に準備する、フォローアップする、オーナーシップを発揮するなど基本的なビジネススキルも時々抜け落ちてしまう方も結構いたのですが、それでもみんなでフォローし合い、仕事も上手く回っていました。とても印象深かったのは、多くのメンバーが自分が持っているポテンシャル以上に仕事ができていた事です。みんなその上司のことが好きで、チームが好きで、協力的でポジティブな雰囲気を全体で共有していました。お互いを良い意味で刺激し合い、補い合う事で能力が開花して実力以上の成果を出していました。

チームの人数が増え2チームに分割される事になり、私はEMEIAとJAPACをサポートするチームの一員となりAMRをサポートするその上司とは別チームになりました。最終的には経営方針によりチーム全体が解体されて全員違う業務に着いたのですが、今でもあの環境が生み出した生産的なエネルギーを思い出します。

以前目にした他のIT企業のレポートでも、能力の高い社員だけを集めたチームより、能力は普通でも仲の良いチームの方が生産性が高いというのを目にしました。本当にその通りだと思います。より能力が開花して生産的になるのは、お互いに好意を持って協力し合える方です。好意無く利害関係と競争で成り立つ関係ではどうしても深い協力は起こり得ず、ストレス過多になり期待した結果が出ません。優秀な人が集まっても集団として成果を出せない組織は沢山あります。

仕事を管理する立場の人は、まずお互いに好意を持って気分良く協力しあえる環境と関係性の構築に力を注ぐべきです。そして理想を言えば、チームの全員が年齢や役目の隔てなく、お互いに好意を持てる人間になれるように努力すべきだと思います。現実世界では中々お目にかかれないことですが、私達はそうあれるように努力を続けて世界に広めていきましょう。




社会体制と人心

2019年10月15日 りん之介

資本主義、民主主義、共産主義、社会主義、封建制度など、様々な社会体制がありますが、その長期的成功は制度の優秀さやリーダーの優秀さではなく、その体制下に生きる人々全員の優秀さによって決まると私は考えています。国民全員(地域民全員)の民度の質によって決まるということです。

資本主義でも大多数の人間が優秀なら資本分配の不公平を是正する行動が取れます。民主主義でも大多数の人間が優秀でないのなら権力を持った一部の人々にコントロールされます。どんな体制下であっても大多数が優秀ならその状況に応じて是正行動が取られ、その地域の文化に即した社会制度に変容していくはずです。人間は不平等を嫌いますし、自由を奪われる事を拒むますので。別の言い方をすると、現在の世界は人間全員の民度レベルの反映と見ることもできます。世界中で政治やビジネスの腐敗を目にしますが、それは私達の大多数がそれを抑止できるほど十分に成長しきれていないことを意味しています。

悪事に対して法的措置が取られるのは常に誰かが被害を被った後であり、またそれは各事件に対する対処療法にしかなりません。そのため世界を平和にするためには役立ちません。私達にできることは、重大な影響が出る前に、兆候が出た時点で問題を解決することです。その為には「どんな体制下でも広範囲を深く見通せる洞察力を持ち、それぞれの分野や立場の中で抑止行動を取れる人々」が沢山必要になります。対象範囲は広大です。一人一人が成長してみんなで協力して悪事を抑止する必要があります。発生してから、誰かが傷ついてからではなく、未然に防いでいかないと世界はいつになっても平和になりません。

最後にもう一度、大多数の人々が本当の意味で成長すればどんな社会体制でも上手く行きます。みなさんが平和な社会について考える際、このことも考えていただけると嬉しいです。




伝搬する感情

2019年10月11日 りん之介

怒った人が部屋に入ってきた瞬間、場が静まり返る。特定の人といるといつも心が明るくなる。悩みを持った人がいると場がしんみりする。威厳のある人がいると雰囲気がピリッとする。こういった経験をしたことはありませんか?

たとえ言葉を発しなくても、表情を繕っても、感情は感情に共鳴します。共鳴する程度は感情の強さや共通性などによります。感情の伝搬に気付いているかいないかに関わらず、私達は他者の感情から必ず何かしらの影響を受けています。ポジティブな感情はポジティブな影響を与え、ネガティブな感情はネガティブな影響を与えます。精神も同様に働きます。

ここでお伝えしたいのは二点です。

  1. 自分の心だと思っていても他者の心の影響により形成されている部分があるという事。これを識別することで、内省や自分自身の理解に役立てることができます。
  2. 自分が心を綺麗に保つ事で他者にも心を綺麗にする影響を与えられるという事。私達自身の心を綺麗にすることで、より良い世界になるように貢献できます。

つまり、正しい事を言っても心が悪いと、正しい言葉と共に悪い影響が広がりますし、逆に言葉上は悪い事を言っても心が善いと、悪い言葉と共に善い影響が広がります。本当に重要なのは心の善し悪しなんです。でも法律上やビジネス上では言葉のみが判断基準になりますね、言葉は正確に検証できますが、心はできないので。偽善が横行する理由の一つです。

もし本当に誰かと仲良くしたいなら、世界を平和にしたいなら、言葉以上に心を善くする必要があります。言葉以上に心は影響力を持っているためです。職場や社会では状況的に言葉上の意味と心が意図することにバランスを取るのが難しくなってきますが、自分の発する言葉には相応の善の心を添えたいですね。




肌の色とアイデンティティ

2019年10月7日 りん之介

私は自分の肌の色に愛着があり日本の文化で育ったことに誇りを持っています。他の国や地域で生まれた方々も、自身の肌の色や文化に誇りを持っている方は多いと思います。

私の肌の色は総じて言えば桃黄色(とうきいろ)。詳しく言えば顔は日焼けもあって#F9C89B、体は#FDE8D0に近いです。多くの日本人と同様の色。部分によって茶、赤紫、薄緑などが割合を変えて少し含まれているのが観て取れます。当然自分の外見に不満はありますし、40歳になって急に肌質が気になり出して毛穴を小さくするために手入れや化粧を始め、綺麗になるようにカラコンやヘアカラーを使っていますが、それは桃黄色である自分を自分なりにより良く見せる為の演出で、今の自分であることにとても満足しています。

肌の色はアイデンティティの基本要素の一つだと感じています。どの色にも特徴があり、特別な役目があり、優劣は無く、全員が協力することで大きな事を成し遂げられるのだと信じています。その為には、違いを尊重し、違いを受け入れ、違うからこそお互いを補える事を理解し、違いによって調和を生み出す事を学んでいく必要があると考えています。

1,2年前、過去にBBCで放送されたイエスさんの顔の再現画像を見て、心が穏やかになった事を覚えています。ルネサンスの絵画ではその素晴らしい技術とは対照的に、イエスさんを意図的に西洋人に見せるために白肌金髪青眼で描いている感がして親近感を持てませんでしたが、学者によって再現されたその画像は当時その地方にいた人間の頭蓋骨を元にしており、焦茶色の肌、オリーブ色の瞳、大きく丸い鼻、カールした短い黒髪、口周りと顎に髭を蓄えた姿で、見ていてホッと和む顔でした。

私達は特定の色に優劣をつける必要はありません。どれも素晴らしいのです。茶系でも黒系でも白系でも赤茶系でも桃黄色でも他のどんな色でも、みんな必要だから存在する。皆それぞれに強みと弱みがある。だからこそ助け合える。桃黄色の私は桃黄色ならではの特性を持ち、それを活用して社会貢献する。それが重要だと思います。

みんなが自分の肌の色に誇りを持ち、自分でいることに誇りを持ち、肌の色と能力の違いを尊重し合い、違いを活かして助け合える世界になる事を強く願っています。




知らない事が生む恐怖

2019年10月6日 りん之介

人はいろんな状況下で恐怖を覚えますが、知らない事が引き起こす恐怖も沢山あります。20代の頃、私は知らない事を責任を持って実行する事に強いストレスを感じました。ストレスの根幹にあったのは、何を期待されているのか分からない、各関係者が何を重要視しているのか分からない、知らない事をどうやって知ればいいのか分からない、何を知らないのかすらよく分からない、そしてクレームを聞きたくない。。。社会経験があまりにも足らず、自由は責任遂行の上に成り立っている事も理解していませんでした。ビジネスで優先される事よりも自身の道徳的価値観を優先しているのも混乱する原因の一つでした。

解決の糸口になったのは「調べる事」です。知らない事を書き出す、調べる方法を調べる、複数の方法で調べる、マニュアルの該当箇所を一字一句読む、専門書を読み資格を取る、実際に私生活で試用するなど、知識と経験を補充しました。調べても分からないことは直接本人や知っている人に聞きました。たとえば、上司と関係者が重要視している事や私に期待していることを尋ねました。お客様にはその製品を選んだ理由、使用目的、最終的に達成したいことを尋ねました。経験者には他に何か必要なことがないか尋ねる等しました。それでも分からない事は、社内評価基準、部署の動向、関係者の個性タイプなどから推察して知識と経験を補いました。

知れば知るほど、思い込みによる無駄な恐怖や不安が減りました。知らないと、ああなったらどうしよう。。こうなったらどうしよう。。そう思われたらどうしよう。。とネガティブに考えてしまい、被害妄想が膨らんでしまいます。知った分だけ現実が見え、無駄な取り越し苦労をしていた事に気がつきました。

今では、知らない事を責任を持って実行することは得意と言える程になりました。会社、上司、関係者、顧客が何を求めているのかある程度理解できるようになりましたし、理解できない場合に理解するための方法を探せるようになりました。もちろん、プライベートを含めるとまだまだ知らない事で無駄な妄想をしてしまい恐怖を駆り立てられる事がありますが、それでも大分生き易くなりました。同じような経験があったら、みなさんも「調べる」事から始めるのはいかがでしょうか?




両極間の均衡点

2019年9月21日 りん之介

あらゆる事には二極性があり、適切な均衡は時所位(時と場所と地位)に応じて変化します。あらゆる状況下で二極間の均衡点に立つ事が重要です。

人と会う時、私は信頼と警戒の均衡点を探すのが苦手です。どうしても警戒側に偏ってしまう。原因はある程度分かっていて、私と価値観が大きく異なる人がとても多く、その人達の言動で不快な思いをしないために警戒する。私は個性分類において目的や結果重視の指導型に属しているので、私の目的に沿わないその人達とのやり取りに労力と時間をかけたくないため警戒する、等。この他にも警戒する理由が沢山あります。ただ、警戒心は人々と調和し平和を築くのには不向きですし(調和と平和を”維持する”のには役立ちます)、自分自身もエネルギーを消費してとても疲れるので、自分なりの適切な均衡が取れるように努力しています。

これまで、相手の良い所を見る、相手の言動理由を察する、文化背景 / 時代背景 / 環境背景を考慮する、相手の自由意志だと割り切る、こちらの主張を優しく伝えてみる、など沢山試してきましたが、どれも効果はあっても不十分で、信頼と警戒のバランスを取るには至っていません。最近、改めて私が抱いている人々への期待が現実に即していないことを実感したので、その期待値を再設定すると共に、今度は人と接した時の私の興味対象と意識方向も変えてみようと思います。例えば人と話す時、今迄通り話の内容と相手の人柄を把握すると同時に、今迄相手に期待していたことは無理と諦め、私の興味対象である相手の動機に集中するのをやめ、自分の意識方向をその人が幸せになるために必要な要素などに向け直して、なるべく私の苦手な箇所に意識を合わせないようにしようと思います。

皆さんも自分なりに興味対象、意識方向、相手に対する期待値を変えてみてはいかがでしょうか? 均衡点を探す助けになるかもしれません。




体制の中で生きる

2019年9月17日 りん之介

2000年代、1990年代、1980年代、1970年代、1960年代と時を遡るほど、テレビ映像に出ている人々に笑顔が増え、大らかで、ゆとりがあり、より元気だったことが見て取れます。だいぶ前に聞いたお年寄りの話によると、戦時中は大変でしたが、第一次大戦前はもっと元気だったそうです。数は少ないですが当時の写真を見ると、気骨があり凛として元気で明るい印象を受けます。江戸時代の文化遺産を見ると更にそれを上回る開放された明るく元気な感覚を覚えます。

明治以後の科学技術とそれに基づいた経済活動の発展とは反比例して、人々の気力は減衰してきました。まだ私達は、科学技術に基づいた社会システムの中で集団として元気に生きていく術を身に付けられていません。ここ30年では、税金と生活経費が上がり実質的な収入が減る中、衣食住の苦労や仕事のストレスから、多くの日本人の心からゆとりが減り、更には社会活動をするための気力の持てないニートや引き籠りがとても増えました。

私達の周りにある制度は高度に発達しました。ただ、私達の「自分の幸せを大切にし、それ以上に人類全体の幸せを大切にする心」が成長していないため、高度に発達した制度は極少数の人々の利益を優先し、大多数の人々はその極少数の人々から僅かな報酬を得ながら、その極少数の人々のために働くようになっています。大多数の人にとって、制度は幸せよりも多くの苦労を生み出しています。制度はあまりに高度で複雑なため、個人が現状に抗える程の技術を得るのはとても難しいです。八方塞がり感が否めなくてとても辛いですが、この問題を解決してより公平な制度を得るには時間が掛かるでしょう。どんな制度もその制作過程に関与した人々の意志の反映であり、関与する人々の意志が変化するには長い時間がかかるからです。

それでも、制度について学び、その中でより良く生きる術を学ぶことで、状況を少しずつ良くしていくことはできます。生活が楽になり生き易くなるほど、制度の変更にも貢献できる余裕が生まれます。どんな状況下でも私達一人一人が全員の幸せに繋がる最良の選択肢を選ぶように行動し続ければ、その場に居合わせた人達の心が少しづつ変わり、その良い変化が世界に向かって広がっていきます。

日々の仕事と生活の中で生き方を変えていくのはとても大変ですが、努力し続けることで達成することができます。
みんなの状況が少しずつ、より明るく喜びに満ちた幸せな環境に変化していくことを願っています。




オーガニック

2019年9月17日 りん之介

有機食品も人工食品も上手に調理されていれば美味しいですし、されていなければ不味いです。ただ決定的な違いは素材の味にあります。有機食材は味、香り、色が濃く、人工食材は薄いです。そのため人工食品は人工調味料で味を整えて美味しくします。有機食材には人体への害はなく、人工食材の人体への害は少なくする努力がされています。有機食材は五感の働きを正常に保ち、人工食材は長年かけて緩やかに劣化させます。有機食品は人工食品より生産/管理が大変なので価格が高いですが、私はできる限り有機食品、次に減化学食品を摂取するようにしています。並化学食品やを摂取するのは、同席している相手への影響や自身のストレス状況などを考慮して、総合的にその方が良いと判断できる場合にしています。

五感の質は、感性 / 理性 / 徳性 及びその上位の質性に影響を与え続けます。緩やかな変化のため大変知覚しにくいですが、10年単位で有機食品メインで生活している人と、人工食品メインで生活している人を比べると、肌の質感や表情など外面的な要素だけではなく、性格や人格まで有機食品メインの人の方が優れていることが傾向として現れてきます。

あらゆる化学物質には人間の意志が介入しています。人間の意志は自然の意志より下位にあたるため、自然の意志により創られる有機食材より、人間の意志が介入している人工食材は質が劣ります。そのため、五感 / 感性 / 理性 / 徳性などの劣化を促します。

食事は人間の基本的な生命維持活動の一つで、毎日必要なため費用も手間も大変かかります。そのため低価格と利便性、ある程度満足できる味から人工食品を食する人が大半ですが、健康な肉体活動と精神活動を支えるためにも、できる限り有機食品を、それに次いで減化学食品を摂取することをお勧めします。

ここでの定義
・ 有機食品:化学物質が一度も使用されていない飲食物
・ 減化学食品:化学物質が人工食品の平均値以下の割合で使用されている飲食物
・ 並化学食品:化学物質が人工食品の平均値の割合で使用されている飲食物
・ 増化学食品:化学物質が人工食品の平均値以上の割合で使用されている飲食物
・ 人工食品:減化学食品、並化学食品、増化学食品の総称




興味

2019年9月13日 りん之介

相手を理解したいと思うことは愛情の最初の一歩だと考えています。相手が大切にしていることに敬意を払う、相手の努力を認知する、相手の意図を汲みながら活動を共にする、などです。相手を理解することで相手の心と自分の心の一部がポジティブに繋がります。信頼関係が生まれます。自分を理解してくれた相手のためにも何かをしてあげたいと思うようになります。人々が仲良く生活や仕事をする上で大切な精神活動です。

ただ自分にやりたい事、やらなければならない事が沢山ある場合、それはとても難しい。自分の事を過度に優先してしまい相手に意識を向けなくなる。それが習慣になり、相手に興味が無い事について何も感じず、疑問に思うことすらなくなってします。

欧米では同僚や部下の仕事に関心を持たない人をよく見かけます。仕事内容の詳細を確認せずに褒め言葉だけ残して終了する。問題なくビジネスが進んでいるように見えればそれでいいというスタンスです。その反面、自分の家族に関してはとても興味がある人が多いです。週末は子供のクラブ活動やレジャーで共に時間を過ごし、お互いの理解を深めているようです。
日本では衣食住はしっかりサポートするのですが、家族の努力している事や置かれている状況に対して興味が無い人が多いです。健康で問題を起こさずにいてくれればそれでいいというスタンスです。一方、職場では同僚や部下のやっていることを気にしている人が多いですが、ポジティブな動機ではないことも多いです。

興味は持たなければなりません。それが足らないと言うことは愛が足らないという事ですから。そして正しい方法で持つ事が必要です。そうしないと嫉妬や憎しみの方に悪用されてしまいます。

興味は意識的に持つ事ができます。たとえ最初は興味が無いことでも、少し理解すると少し興味が湧くからです。理解する努力を続けることで、興味を育てる事ができます。可能な範囲で興味の対象を広げていきましょう。まずは身近な人の大切にしている事や努力している事から、徐々に組織や社会や世界について、少しずつ興味で愛を広げていきましょう。




お互いへの期待値解除

2019年9月12日 りん之介

以前私の尊敬する人が「日本ではお互いへの期待値が高い」と言っていたことを覚えています。よく見る光景なので、時々思い出します。ここで言う ”期待値” とは "日本人ならこうあるべきだ” という潜在化した固定観念や先入観のことです。具体的には、日本人なら丁寧に挨拶するべきだ、お客様を大切にすべきだ、年配を敬うべきだ、など。その人の内に存在する常識の押し付けです。期待値から逸脱すると非難やいじめの対象となることがあるため、本当は嫌なのに、本当は別のことをしたいのに、みんな同じように振る舞うことが多々あります。皆んなが無意味だと思っている会議を続けたり、人権侵害と分かっていてサービス残業に甘んじたり、似合わなくても毎日スーツ姿で仕事をしたり、他の家の子と同じような習い事をさせたり、好きでもないママ友と交流したり、、、その期待値を満たすために日々ストレスの溜まる行いをしています。

問題なのは、日本人は同族間の期待値が高すぎるということです。一方外国人相手には期待値が低すぎます。みなさん、日本人には冷たいのに外国人には笑顔で接する上司や店員を見かけたことはありませんか?日本人相手には何も教えないで自分でやれよ!といった態度をとるのに、外国人相手には全く話せない英語で話そうとする人が多いと思いませんか?無論これらの行動には他の原因も多々影響していますが、同族間の期待値は再設定の余地がふんだんにあると思います。

私達はお互いに対してもっと寛容であるべきです。周囲に害を加えない限り、みんな自由でいいんです。身だしなみを整えていれば、好きな色に髪を染め、カラコンして、男性がスカートを履いて男性と付き合ったって綺麗に見えます。男勝りの大志とリーダーシップで男性の上に立つ女性はかっこいいですし、そういう女性が増えれば世界はもっと平和になります。

まずは自分の中に存在する相手への期待値を解除し、相手からの期待値は内容を理解して躱す方法を自分なりに見つけていくことが重要だと思います。




作られた劣等感

2019年9月11日 りん之介

このトピックは人種間のセンシティブな要素を含むものなので、建設的未来のための現状把握と課題克服のために記載することを冒頭で理っておきます。差別の意図はありませんのでご了承ください。

昔、日本人はもっと自信に満ちた民族でした。武士の生き方や江戸の開放された文化、お祭りなどの伝統行事などからもそれを感じ取ることができます。凄く勢いがありますね。時代によって差はありますが、卑屈さはなくそこにあるのは信念や自分自身を信頼する力強さです。

大きな変化が訪れたのは、明治維新による西洋文化の導入と第二次世界大戦の敗戦です。これにより、民族として共有していた概念を大きく変更されました。端的に言うと白人への憧れ、白人に対する劣等感が意図的に植え付けられました。圧倒的な科学力の差と敗戦による統治下を背景に、白人に憧れを持つように白人文化が広められました。映画、スポーツ、ファッションなどは特に活用されましたし、学校でも西洋文化を教え、日本人の潜在意識に白人は日本人より優れているという概念が作られました。歴史が進むにつれてようやくその影響は少しずつ薄れてきましたが、今だに好印象を持たせるためのCM、例えば高級車のCMには白人モデルが起用されますし、外国人風メイクといえば当然のように白人女性風メイクや白人とのハーフ風メイクを意味します。仕事や学術面においては白人から学ぶ立場であることが多く、教える立場の人やリードする立場の人は僅少です。

ここで重要なのは、美的感覚や優劣感は環境や文化に極度に左右されやすいというこです。

遣隋使や遣唐使の時代は今の中国に憧れ、男性は漢字を使いました。漢民族の漢を男と読むことからもそれが伺えます。みんな自分の主観であり趣向であると思っていますが、私達自身が本来持っている美的感覚や優劣感は全く違うものです。もし別の国に生まれていたら、私達は全く違う価値観をいくつも持っていることでしょう。

まずは気付くこと、そして意識することが大切です。実際は白人だから美しい、日本人だから美しい、という事実は存在しません。見る視点が変わってくると美的感覚も変化し、趣向も変わるためです。優劣感も同じです。人種的違いから身体能力の違い、文化的背景から精神構成要素の特徴や発達具合の違いがありますが、そもそも担っている役目が異なりお互いに優れたところと劣ったところがあるので絶対的な優劣も存在しません。

全員が美と力の資質を備えています。一人でも多くの人がそれに気付き、より自信に満ちた生活を送れるように願っています。




個性花開く文化大国

2019年9月11日 りん之介

関西などの一部を地域を除き、日本人は往々にして他者とのコミュニケーションに積極的ではなく、交渉事が得意ではありません。相手が外国人になると尚更です。もちろん訓練すれば解決できる課題ですし実際にできる方々もいますが、全体的に見ると外交的というよりは内向的で、現代のビジネス活動にあまり向いている民族ではないと思います。合理的な事よりも感情的な事を好む傾向もビジネスには不向きです。また、多人種多文化の人々と行動する機会が少なく、世界中で活用できるようなビジネスアイディアや社会制度が開発されることも少なく感じます。

ただ、その内向的性質と比較的一様な社会環境故に、かえって個人の内面は非常に個性的に育っていると思います。アニメ作家や漫画作家をはじめ、音楽家、美術家、料理人など世界に類のない作品を創れる方々がいますし、殆ど知られていませんが思想家や武道家でも前人未到の域に達した素晴らしい方々がいます。日本人の中身はとてもユニークです。

今はまだ欧米的ビジネスに邁進し、欧米で発明された製品やサービスを日本風に作り変えることで経済が成り立っていますが、いくつかの国が観光立国として観光ビジネスを生業にするように、日本は文化大国としてコンテンツビジネスで繁栄する方が得策だと考えています。伝統的な武道、芸術、着物、社寺だけでなく、近年はカジュアルな日本食、アニメ、ファッションなど日本から発信する文化資源が充実してきました。これからはより文化が成熟して、多方面でその資質と努力が花開くことを期待しています。




先輩意識による堕落

2019年9月9日 りん之介

年長者を敬う文化は、元来は生命維持がより大変だった時代に自分より長く生きてきた先人に対して敬意を払うところから始まったと思いますが、現代の日本においては年長者が年少者に対して正当な理由無く優位に立てるシステムになっています。人格や能力に関わらず、学校では上級生が下級生より強く、社会では先輩が後輩より強い立場を無条件で手に入れます。そこには、生まれた時期や組織に入った時期が早いだけで、後続者を自分よりも低い立場であるべき存在、自分よりも弱くあるべき存在として期待し行動する文化があります。根幹に見えるのは早く生まれた、早く入ったというだけで特権を得ようとする年長者の堕落した意識です。

現代の日本が経済の革新性や高度教育の水準で先進諸国に及ばず、人権意識や環境保護などにおいて遅れた国である理由の一つがこの先輩後輩文化、つまり先輩意識による堕落だと考えています。実際に日本では立場が上がることで能力と人格が劣化する人々をよく目にしますし、理性や人格が発達していない中高年者が沢山います。努力せずとも力を持てるので、努力しなくなるのです。私が所属する会社では、特に欧米圏のオフィスでは、職位が高い人ほど理性が発達しており、人格的にも魅力があり、コミュニケーション能力に秀でた方が明らかに多いです(もちろんその方達には別の課題がありますが)。

日本でもより公平な経済活動や文化活動ができるように、役職問わず全員カジュアルな言葉で話すもしくは全員丁寧語で話すなど、組織内での言葉遣いのルールを決めたり、優秀な外国人を複数の国と地域から多数招いて人種や文化に関係なくフラットな立場で仕事をする訓練をしたり、後輩のフィードバックが匿名で先輩の年次評価の一部になるシステムを導入したりして、早く生まれただけ、早く入っただけで得る先輩特権を廃止する努力が必要だと思います。




相手の好みに敬意を払う

2019年3月31日 りん之介

私達は皆、何においても個々のニーズからくる独自で具体的な好みを持っています。それぞれの好みには、個別の理由とその人にとっての特別な意味がある為、どんな好みが良くどんな好みが悪いかは一概には言えません。でも、私達は往々にして自分の好みより洗練されていないものや高尚に見えるものを批判する傾向があります。自分の好みより子供じみて見えたり、ずっと優れて見えてしまうからです。また、たとえ自分もそれが好きだったり時々やったりしていても、自分の正しいと思う基準から外れた相手の好みも批判します。それは他人より優れていたい、自分を実際よりも良く見せたい、という過剰な自尊心から来ています。別の言い方をすると、他人の好みの否定は概ね私達自身の不適切な考えによってなされています。悪いのは相手の好みではなく、自分自身の考え方です。

相手の好みが他者に対して明らかに悪い影響を与えていない限り、私達はそれを否定すべきではありません。まずは、なぜ相手がそれを好きで、それによってどんな良いことが世界にもたらされているかを考えて、自分の好みに合わなくても相手の好みに敬意を払うべきです。相手の好みは、私達の好みがこの世界にもたらすことのできない重要なものを、この世界に届けてくれていますので。




公平な世界は皆で創るもの

2019年3月15日 りん之介

私は因果応報を信じていますが、それでも世界は十分に公平ではないと思っています。ここで言う公平とは、施した善に応じた幸を得るということです。

「世界は公平だ」「世界は公平であるべきだ」と考えている方も大勢いるかと思いますが、私は別の考えを持っています。「公平な世界はみんなで築くもの」、みんなで協力して、みんなで永続的に努力することで、少しずつ不公平を公平に改善していくものだと考えています。全ての生命が協力した分しか公平は実現しないと考えています。

これはとても難しいことです。公平を求めていない人々も沢山いるので。でも、宇宙はそうできていて、そういう人々も如何に巻き込んでどう協力するかが重要視されているんだろう、と考えています。人がより進化する上で努力し続けなければならない課題なのだと捉え、自分に何ができるか日々考えています。




叱る と 責める

2019年3月13日 りん之介

叱るは理性的な行動。相手の過ちを嗜め正しい方向に導く振る舞い。
責めるは感情的な行動。相手の過ちに対して苛立ち、怒りを伝える行為です。

でも、多くの人はこの二つの区別がついていません。躾だと言って責めたり、怒りを撒き散らしながら注意をしている人を様々な場面で目にします。特に年上が年下に注意を促す際に叱ると責めるが混ざってしまっていて、相手が可哀想だなぁと思います。

理性的に助言しないと相手には怒りの念のばかり届いてしまい、内容が正しくてもあまり感謝されません。時には恨まれます。怒りをぶつけるということは、心のフィールドでは相手を攻撃しているようなものですから。傷つけられたら誰も喜びません。

相手の過ちを指摘し、より良い道に導くことは必要なことです。その際はみんなが優しく叱れるようになるといいな、と願っています。




沢山の努力 / 少ない苦労

2019年3月13日 りん之介

いつも「苦労は少ない方がいい」と考えています。したくなくても必ず訪れるものなので、最小限にした方がいいと思っています。苦労は常に受け身の時に発生します。やりたくないのにやらざるをえない、この状況下でストレスを感じて苦労として認識されます。苦労した経験から、相手への共感や洞察力などを養えることもありますが、得るものに対して失うものも大きいです。過度の苦労故に性格がねじ曲がってしまったり、不幸なオーラを周囲に出したり、顔が醜悪になってしまうこともあります。

対照的に、「努力は多い方がいい」と考えています。前向きだからです。何かを成し遂げるために精進する。生産的で積極的な振る舞いです。せざるをえないからではなく、やりたいからやる。能動的だからこそ能力が磨かれますし、然程苦になりません。基本的に楽しいからです。努力している姿は周囲にも良い影響を与えますし、専心する姿には畏敬の念が湧きます。

それぞれの性質上、努力にはホジティブな要素が多く、苦労にはネガティブな要素が多いです。私はできるだけ幸せになりたいので、努力を増やし苦労を減らすことを日々心がけています。




外見も判断材料

2019年3月1日 りん之介

「外見で人を判断しない」。時々耳にする言葉ですが、いつも違和感を覚えてしまいます。誤解しやすい表現ですし、実際に多くの方が正しく理解していないように思います。

そもそも、視覚情報に左右される世界においてその情報を無視することは現実的ではないですし、外見はその人の考え / 思い / 行い / 習慣 / 生き方などの一部が表現されるところなので、有効な判断材料になるからです。綺麗でいる為には努力が必要ですし、清潔でいる為にも細かいケアが必要です。品のある外見は周囲にポジティブな感情を起こしますし、ちょっとした社会貢献です。その努力と気遣いは評価されるべきだと思います。

人は外見の情報が入ってきた瞬間にそれに対する思いを反射的に発するので、理性で感じ方を矯正できるわけではありません。また、第一印象が相手に与える影響の大きさや、視覚情報が言葉や音声情報よりも相手に大きな影響を与えることは有名です。人が快適に生活する為には外見の美しさもとても重要なわけです。相手に不快な思いをさせない為にも、自分がよりポジティブでいるためにも、可能な範囲で身なりを整えたいですね。

「中身も外見も判断材料になる」。この方が現実的で、建設的で、世の中に良い影響がありますね。




伝える情報 / 伝えない情報

2019年3月1日 りん之介

人に何かを尋ねられた時、「どうしようかな。伝えたくないな。でも嘘をつくのも嫌だな。。」と思うことがあると思います。人によってはそれを知っていて、あえて答えづらいことを尋ねてくる人もいます。学校でも会社でも社会でもよくありますね。

そういった場合、私は真実を伝えることを重要視しません。真実を知る為には、まず真実を知るべき資格があることが大前提だと思っています。資格とは、どんな真実を知っても批判的にならず、建設的/友好的/平和的思考でその情報を処理できる人としての器のことです。尋ねてきた相手がそれに見合う人なのか見定めます。

また、その人の意図も推察します。なぜその情報を知りたいのか。ただ自身の好奇心を満たすためなど、自分の利益しか加味されていない動機であった場合、その人は真実を知る資格はありません。情報は双方にとって有益な結果をもたらすべきです。何も難しいことではなく、双方が気分良くいられるか、前に進めるかなど、ポジティブな結果をもたらすかと言う意味です。

この二つを考慮した上で、伝える情報を調整します。相手が情報を知っても自分よがりに活用できないようにぼかしたり、少しだけ真実を伝えて残りは内緒にしたり、個人的なことは話したくないのでと断ったり、逆に資格のある相手にはそれが相手の役に立つ場合、尋ねられた以上に情報を伝えることもあります。こうすれば伝えた情報の量や詳細度は違いますが全て嘘ではなくなりますね。慣れると自分の気分も相手の気分も然程害さずに上手に遇らえるようになります。

なお、私はポジティブな嘘は「時と場合と立場」によって必要だと思っています。相手や周囲の人々の幸福を考えた上で、その場は嘘をつくことが最善であると判断できるのであれば、嘘をつくべきだと思います。お世辞もポジティブな嘘の一つですよね!大切なのはそれがみんなの幸せに繋がるかどうかです:)